翌05年1月25日にポスティング申請を行い、近鉄と業務提携するドジャースが落札。推定年俸50万ドル(当時のレートで約5200万円)のマイナー契約となったが、中村は「ここには勝負に来た。お金は関係ない」と新天地での飛躍を誓った。
オープン戦では3本塁打を放つも、4月2日にまさかのマイナー行きを通告された中村だったが、4月10日、ライバルの故障者リスト入りに伴い、待望のメジャー昇格。同日のダイヤモンドバックス戦で8回に代打で右前安打、初スタメンとなった同12日のジャイアンツ戦でも二塁打を記録した。
だが、17試合で39打数5安打、打率.128、0本塁打、3打点と結果を出せず、5月8日に40人枠から外れた。
「長い目で見てもらえなかった。もう少し打席があれば……」と雪辱を胸に3Aラスベガスでプレーを続けた中村は、打率.249、22本塁打を記録。地元紙は9月からの枠拡大で再昇格の可能性も報じたが、朗報は届かなかった。(文・久保田龍雄)
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。