マイナー契約でドジャース入りした中村紀洋
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 これまで数多くの日本人選手がメジャー挑戦の夢を実現しているが、その中には、NPBで実績十分な一流選手だったにもかかわらず、マイナー契約で米国に渡り、短い期間ながら存在をアピールした男たちもいる。

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 日本で通算206勝、193セーブの実績を持ちながら、マイナー契約でメジャーに挑戦したのが、江夏豊だ。

 西武時代の1984年夏、体調不良を理由に広岡達朗監督から2軍行きを命じられ、そのままシーズンを終えた江夏は、11月12日に現役引退を発表。「もう日本のプロ野球はオレを必要としていない」とあきらめ、野球を辞めるつもりだったが、その後、雑誌の取材で渡米したときに、「言葉はちょっと悪いが、日本の野球がバカにされていると感じることがあった」という。「それなら、いっちょう覆してやろうじゃないか」と反骨心をかき立てられた。

 そして、12月27日にブルワーズとマイナー契約を結び、36歳でメジャーに挑戦した。

 後年、江夏は「西武の広岡という男に死に場所を取られたんやからね。あのとき、死に場所を大リーグに求めるしかなかった」と回想している。

 翌85年2月、テスト生としてブルワーズのキャンプに参加した江夏は、フリー打撃や紅白戦で174打数18安打の被安打率.103をマーク。オープン戦でも3月18日のマリナーズ戦で勝利投手になるなど好投を続け、ジョージ・バンバーガー監督も「メジャー入りする可能性は75%」と明言した。

 だが、3月26日のカブス戦で味方のエラーなどで4点を失うと、同30日のアスレチックス戦でも2回を3失点と2試合続けてリリーフ失敗。そして、最終選考となった4月2日のエンゼルス戦も、5回にレジー・ジャクソンに安打を許し、2失点で敗戦投手になった。試合後、ジャクソンから「グッド・ラック」と書かれたバットを贈られた江夏は、これを“武士の情け”と受け止め、自身の挑戦が終わりを告げたことを実感したという。

 翌3日、球団からリリース(解雇)を通告された江夏は「自分の人生にとって、いい勉強になった」と納得してユニホームを脱いだ。

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38歳でメジャーに挑戦した日本を代表する右腕は?