




6月16日は「父の日」。著名人らが見ていた、それぞれの父の姿は……。あらためて紹介します(この記事は2018年6月14日に「週刊朝日」に掲載された記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
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優しかった、面白かった、頼もしかった……、人それぞれ、父親に対する思いを抱えている。どれも自分をつくってくれた大切な思い、でも、面と向かって直接伝えるのは難しい。週刊朝日では、「父の日」を前に、8人の方に今だから話せる亡き父への思いを語ってもらった。その中から、井上荒野さんが語った父・井上光晴さんのエピソードを紹介する。
父は、多くの女性に好かれました。作品からは想像もつかないけれど、女たらしっていうよりは、女好き(笑)。
瀬戸内寂聴さんと父がつきあっていたことも、薄々とは感じていましたが、はっきりと認識したのはここ数年です。私が5歳から12歳になるまでの7年間、2人は不倫関係にあり、寂聴さんが出家した理由のひとつに父との関係にけりをつける意味もあったのだと、最近知りました。
寂聴さんは、気がつくと尼姿で家にいらっしゃるようになっていて、母ともとても仲がよかった。私にとっては親戚みたいな感じでした。父は1992年に、母は2014年に亡くなっていますが、2015年、体調を崩した寂聴さんから電話をもらって訪ねたところ、ずっと父の話ばかりなさるんです。その姿を見て、ああ、本当に父のことが好きだったんだなあと、グッと来ちゃった。
じつは、父と寂聴さんの関係を小説に書かないかという提案を編集者からされていたのですが、センセーショナルなものは嫌だと断っていた。でも、父の話をする寂聴さんを見ていたら、私が書かなきゃいけないような気がしてきたんです。寂聴さんも書きなさいと喜んでくださったので、「あちらにいる鬼」というタイトルで書きはじめました。寂聴さんにお話を伺うのはもちろん、作品や年表などの資料を調べたり、自分の知っていることを交えながら想像したりして、寂聴さんと母を思わせる3人の女性を、一人称で交互に描いています。