「高校生に『ドリームレーン』という枠が用意されたんです。桐朋の先生が『応募してみたら』と勧めてくれて、国立競技場で走る機会をいただきました。あの時、『上には上がいるな』と実感できたことが今につながりました」
大人たちの善意が豊田と世界を結んだ。そして21年に慶應に入学。ただ、大学2年までの豊田のレースは無謀に見えた。最初から飛ばし、最後に失速して後続のランナーに差される。前半、自重していれば楽に優勝できるのに……。
その頃、私は400mハードルの日本記録保持者であり、世界陸上で2個のメダルを獲得した為末大さんと豊田のことを話す機会があった。もう少しスマートにレースができれば──と私が話すと、為末さんは別の見方を示した。
「彼はあのままでいいんじゃないですかね。私たちの物差しで測らない方が、大きく育つ可能性があると思いますよ」
為末さんの“予言”は当たった。昨年、大学3年の秋になって豊田の成長は加速し、五輪を射程に捉えた。
「前半、攻める走りをしたことで、自分の速度が何割くらいなのか把握できるようになりました。大学3年になり、レース全体のマネージメントができるようになった感じです。体重も75キロから81キロにまで増え、力強い走りが身についたことも大きいかと」
積極的な走りとは裏腹に、言葉の選び方に内省的な性格が透けて見える。趣味は?と尋ねると、こんな答えが返ってきた。「読書です。ピエール・ルメートルが好きです」
フランスの超一流ミステリ作家の名前が出たことに驚いた。(スポーツライター・生島淳)
※AERA 2024年6月17日号