真っ白いご飯にちょこんとのった赤い梅干しは、皺しわながらきらきら輝いていた。母の「すっぱいよ。美味しいよ」の声に励まされ、思わずパクリと一口食べた。はっきり言っておいしいと感じなかった。
「おお。小さな梅干しで、これだけたっぷりご飯が食べられるなんて魔法。梅干しの魔法!」母は、自分の梅干しを小さくし、私のご飯にまたのせた。私は、思わずぱくっと口に入れていた。今度は、酸っぱい感触とご飯の甘みが口に広がり、自分で次のご飯を食べた。
「すごいね。こんなにご飯をいっぱい食べてすごい」母が心から喜んでくれることが嬉しくて、ご飯一膳をぺろりと食べた。
楽しく食べることができ、お腹だけでなく心も満たされた。それから私の好き嫌いは、いつのまにかなくなっていた。小学校中学年のころは、給食のお代わりを楽しみにする子になっていた。
◎ ◎
私は、小学校の先生を仕事にした。母がなりたかったけど、戦争中の混乱でかなえられなかったという母の夢だった仕事だ。大学入学の時も「教育学部に」と母が勧めてくれたにもかかわらず、「まあ、大学に入ってゆっくり考える」と答え、違う学部を専攻した私。
そんな私に、母は「まあ、いい方にいくね」と励ましてくれた。
しかし、案の定、私は苦労した。小学校教諭の免許をとることは、私の学部では単位だけでは無理で、専用の試験を受けに行かなければならず、けっこう大変だった。けれど、回り道をしているうちに、母の夢ではなく、「先生になる」という気持ちが本当の自分の夢になった。
苦労した時間は、何かを掴んだりご縁をいただいたりする時となり、母の言う通りに良い方向に向かう宝物だった。教職は、自分の天職とも思えるくらい楽しくやりがいのある仕事だった。ついついクラスの子に、「いい方向に行ってるよ」と、母の口癖を言っている自分がいて何だか可笑しかった。