BMとの付き合いが深くシェアも1位の損保ジャパン。そのトップが、不正疑惑をそもそも知らないというのだ。素っ気ない反応に、これ以上の会話につながらなかった。
去り際の白川に一人が「よくよく考えた方がいいぞ」と再度言った。
この「忠告」もむなしく、損保ジャパンは道を踏み外すことになる。
各社は契約者の事故車両をBMに紹介する見返りに、BMで中古車を購入したユーザーの自動車損害賠償責任保険(自賠責)を割り振ってもらっていた。3社ともいったんは事故車の紹介(入庫誘導)を停止したが、損保ジャパンだけが1カ月あまりで再開させてしまう。
白川は自身の辞任会見で「大きな経営判断ミス」と悔やんだ。
宴の終わりにいきなり2トップに迫られた損保ジャパン社長の白川。
当時、社長就任から1カ月あまりしか経っていなかった。
51歳と若く、入社年で役員37人を抜く異例のスピード出世だった。ソフトテニスへの夢を捨てきれず、32歳のときに損保ジャパンを退職し、北海道北見市役所の実業団チームに所属した。全日本実業団選手権にも出場したが、足のけがで競技継続を断念。再び損保ジャパンに戻った異例の経歴を持つ。
社内では何も知らされず
白川はそもそもBM問題について社内から全く知らされていなかった。
「事案を社外から、しかも競合他社である他の損保会社の社長から聞かされたことは、屈辱であると同時に、対抗意識も手伝って経営者としてより適切に対処しなければならないという一種の焦燥感を覚えたであろうことは想像に難くない」。
SOMPOホールディングスの社外調査委員会は後にこう評している。
白川は会合の直後、営業担当の専務、中村茂樹と損害調査部門のトップである、保険金サービス企画部長(保サ企部、執行役員)、大倉岳の2人に詳細を報告するよう電話を入れている。
翌日、損保ジャパン本社で急遽、白川への経営報告の場が持たれた。