さらに、5月15日には小室哲哉を題材にしたノンフィクション書籍『WOWとYeah 小室哲哉 起こせよ、ムーヴメント』(神原一光・著/小学館)が刊行された。ここ1~2カ月の間にこれだけのことが重なり、まさに「ムーヴメント」と呼べる現象を起こしている。
音楽プロデューサーとしての小室が世の中に与えた影響として最も大きいものは、日本にダンスミュージックを広めて、ダンスの文化を作ったことだろう。『WOWとYeah 小室哲哉 起こせよ、ムーヴメント』には、その過程が克明に描かれている。
80年代後半、くすぶっていたTM NETWORKにヒット曲が出て、ようやく浮上のきざしが見えたころ、小室は最先端の音楽を学ぶためにイギリスに飛んだ。当時、海外でレコーディングをする日本人アーティストはいたが、長期間にわたって海外に行くのは異例のことだった。
その間、日本で音楽活動ができなくなるため、周囲のスタッフは猛反対したが、小室はそれを押し切ってロンドンに旅立った。そこで最先端のユーロビートに触れ、屋外イベントのレイブというものを知り、数多くの音楽プロデューサーやミュージシャンと交流する中で、彼はダンスミュージックに目覚め、自身の作る音楽をそちらにシフトしていった。
踊れる音楽のクリエイターに君臨
その後、90年代に入ると小室はプロデューサーとしてtrf、globe、篠原涼子、華原朋美、安室奈美恵などの楽曲を手がけ、希代のヒットメーカーとなった。カラオケボックスが大流行して、歌うための音楽が求められていた時代に、小室は歌って踊れる音楽のクリエイターとして活躍した。
その後、日本でもDA PUMP、EXILEなど数々のダンス&ボーカルグループが生まれ、多くの若者がダンサーやDJを目指すようになった。2012年にはダンスが義務教育でも必修化され、2024年のパリ五輪ではブレイキン(ブレイクダンス)が正式競技に採用された。
現在40代の筆者が子どものころは、人前でノリノリで踊るのは(どちらかと言うと)恥ずかしいことだという風潮があった。でも、今そんなことを思っている若者はほとんどいないだろう。
歌って踊れる、いわゆる「ノレる」音楽。小室は日本人に「ノる」ことの快楽を教えて、日本中をダンスホールにしてしまった。「Get Wild」のイントロが流れてきた瞬間に「来たー!」と思ってしまう人も、「歌ってみた」「踊ってみた」の動画を公開する人も、誰もが小室の手のひらの上で踊らされているのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)