![温又柔(おん・ゆうじゅう)/1980年、台湾・台北市生まれ。『台湾生まれ 日本語育ち』(2016年)で日本エッセイスト・クラブ賞、『魯肉飯のさえずり』(20年)で織田作之助賞を受賞。そのほかの著書に『真ん中の子どもたち』『祝宴』など(撮影/高橋奈緒)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/7/c/682mw/img_7c396933dd0ded308c9f312bcd774eb043071.jpg)
AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。
愛読するカズオ・イシグロさんの本に出合った日のこと、ミュージシャンの後藤正文さんとの対談など、温又柔さんの豊かな内面に迫ったエッセイ集。文章の音やリズムに心地良さを感じる。字として見た時の感触やパッと見たときのバランスも大切にしながら文章を紡いでいるという温さんに、同書にかける思いを聞いた。
* * *
ある時は桜を見に行く台湾人観光客、ある時は東京に長期滞在する台湾の作家。温又柔さん(42)は、ときどき“台湾で育った台湾人のふり”をして街を歩くことがある。
「昔から、日々の生活で思い通りにいかないことがあれば『もう一人の自分だったら人生をこんなふうに味わっていたのかな』と想像し、空想や妄想のおかげで元気を取り戻し日常に戻っていく。そんな子ども時代を送っていました」
現実を否定しているわけではない。自分を受け入れながら、より彩り豊かに生きていくために想像力を活用させるのが好きだった。
台湾人の両親のもとに生まれ、3歳で日本に移り住んだ。日本の小学校に通い、2009年に日本語で作家デビューした。最新刊でもある『私のものではない国で』は、17年から雑誌などで綴ってきた文章をまとめたエッセイ集だ。
「普通」の定義に、敏感にならざるを得なかった子ども時代。外国にルーツを持つ子どもがほとんどいないなか“特別感”を嘆くことも、誇ることもできた。「いいなあ」と言われることに溺れたくなる瞬間もあったが「嫌われてはいけない」と神経を使った。
気の強い同級生の言葉に言い返せず落ち込むことがあれば、「言い返せていたかもしれない」パターンを想像し、日記に綴った。
「自己治癒ではないですが、書くことで現実世界とは別の、もっとのびのび生きてきた自分を確保していたのだと思います。生まれた国と育った国が違うという境遇は『特別』だけれど、性格は『凡庸』。自分をそんなふうに感じています」