政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
* * *
衆院補選での3連敗の衝撃を和らげるように、岸田首相は“世界一周”外遊に旅立ち、帰国後は待ったなしの「政治改革」の矢面に立たされています。それでも、一部メディアの世論調査では内閣の支持率は若干上向いているようです。
ただ、「外交の岸田」といってもその内実は、米国の多国間連携による中国封じ込めや対ロシア戦略のために日本が米国の重要なジュニアパートナーとなり、米国の代理人となって多国間外交を展開したにすぎません。岸田首相が外遊で汗をかいても、常に「アメリカの影」が付き纏っているのです。むしろ、日本の外交は「アメリカの影」になり切っていると言っても過言ではありません。
その最中にバイデン大統領の「日本は外国人嫌い」との発言が飛び出しました。日本は、米国など西側が対峙しているロシアや中国と同じグループに括られてゼノフォビア(外国人嫌い)の国だと、ほんの少し前まで国賓待遇で日米一体化を誇った岸田首相に冷水を浴びせるように、バイデン大統領は日本を西側諸国とは「異質な国」だと公言しているのです。
平和憲法があれば、日本が守れると思うのは、平和ボケだと揶揄する論調がありますが、「日米一体化なら日本の安全は盤石」と信じて疑わない「安保万能論者」も幻想の上に成り立つ平和ボケではないでしょうか。バイデン大統領の「日本異質論」のような決めつけは、日米は両国民のアイデンティティーが根本的に違うと語っているのです。アイデンティティーの違う国民とその国家を自国の軍隊の血で贖ってまで守ろうと本気で米国民は考えるでしょうか。
それでも岸田首相の「米国ファースト」は止まらないようです。その延長上に日米の防衛力の一体化が進み、台湾有事での南西諸島へのシフトが急展開しつつあるとすれば、防衛・安保問題こそ、政治の最大の争点でなければならないはずです。なぜなら、戦後の日本の平和と安全の土台が国会での本格的な論議もないまま変わろうとしているからです。どの立場を取るにせよ、国民主権と代議制による立憲民主主義を前提とするなら、立ち止まって防衛・安保問題をオープンに議論すべきです。
※AERA 2024年5月20日号