いっぽう、長年のストレスにじわじわ追い詰められた結果と思えるのが、『大鏡(おおかがみ)』「時平(ときひら)」が記す藤原保忠(やすただ)の例だ。彼は、陰謀により菅原道真(みちざね)を無実の罪に陥れたとされる左大臣・藤原時平の長男である。道真は大宰府に流され、二年後に配所で亡くなった。そこから、陰謀を企てた側の恐怖が始まる。当時は、恨みを抱いて亡くなった人間の魂は怨霊と化して祟ると考えられたからだ。実際、時平は三十九歳で早世。道真を流罪に処した醍醐(だいご)天皇(八八五~九三〇)の皇太子・保明(やすあきら)親王は二十一歳、その子で親王に代わって皇太子に立てられた慶頼王(よしよりおう)は何と五歳で亡くなっている。保忠は常に「次は自分」という恐怖におびえていたのだろう。あるとき病気に罹り、枕もとで『薬師経(やくしきょう)』を読んでもらったのだが、その経の一節が耳についた。「所謂宮毘羅大将(しょいくびらたいしょう)」と、僧が大声で読み上げたのだ。「くびら」が「くびる」に聞こえ、それは「首を絞める」という意味。絞め殺される、と思ってそのまま、彼は恐ろしさに絶命してしまったという。時に承平六(九三六)年のこと、保忠は四十七歳。道真の亡くなった延喜三(九〇三)年からは三十年以上にもなる。その歳月の間、彼はおびえ続けてきたのだ。平素からストレスが体の抵抗力を低下させており、そのうえたまたま病気に罹って衰弱したところへ、さらに「くびら」の一撃が加わったことが、何らかの発作を惹き起こしたといえそうではないか。

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