庶民にはセレブへの憧れと平等要求という矛盾した感情があるが、権力側はそれにどう対処してきたのか。
 本書はジョージ五世(現・エリザベス女王の祖父)の死からはじまる。ジョージ五世は1936年1月20日夜に亡くなった。直接の死因は安楽死。主導したのは宮廷人で主治医だったドーソン卿だった。国王の尊厳を守り、荘重な雰囲気を醸し出そうと努めた結果だった。
 ラジオは夜9時から通常番組をやめて宗教音楽を放送し、21日午前0時15分に死が公表された。ラジオは国王の死をドラマのように演出したのだった。この公表時間は新聞朝刊の記事差し替えが間に合う時間帯でもあった。
 英国の「開かれた王室」はメディアを通して国民の意識操作をはかってきたが、そのために国王側は生命すら干渉を受けたのだ。
 そんなショッキングな逸話をマクラに、父王を継いだエドワード八世の、政界とメディア、それに大衆や諸勢力をも巻き込んだ「王冠を賭けた恋」の顛末が描かれる。アメリカ人で人妻のシンプソン夫人との恋だ。
 エドワード八世は皇太子時代から自由な発言で物議を醸していた。ナチスとの融和を語ったり、労働運動に同情的だったり。政治への関心の強さから「君臨すれども統治せず」という近代英国王室の伝統を踏み外すおそれがあった。特別な存在である王族に、ふつうのふるまいは許されない。
 道徳上・宗教上に問題のある国王の恋は、政府を困惑させ、様々な人々の配慮と思惑が交差するスリリングな駆け引きが水面下で展開する。エドワード八世もメディアを抑えるべく工作したり、国民に直接語りかけるラジオ演説をしようと試みたりする。卑俗な欲望から高度な政治的駆け引きまでが渾然一体となり、このドラマを盛り上げた。
 ファシズム台頭の時代に起きたこの出来事は、歴史の徒花のようにみえて、実は「情報新時代」の政治の本質を抉る事件だった。

週刊朝日 2015年11月27日号