1975年、NHKの朝ドラ「水色の時」のヒロインに抜擢された頃の大竹しのぶ

おっとしたしゃべり方も演技?

 古くは映画「青春の門」シリーズや「麻雀放浪記」、「鉄道員(ぽっぽや)」、元夫の明石家さんまと共演したドラマ「男女7人夏物語」、そしてNHK大河ドラマだけでも「徳川家康」など8作品に出演するなど、大竹の代表作を挙げれば切りがない。ありとあらゆる役柄を演じ分け、憑依型女優・怪演女優とも呼ばれてきた。だが、彼女が手玉に取ってきたのは視聴者や観客の気持ちだけではない。

「大竹さんは平成の頃は週刊誌やワイドショーでもたびたび『魔性の女』として取り上げられていました。最初の結婚はテレビ局のディレクターでしたが、大恋愛の末の略奪愛でした。最初の夫の病死後、さんまさんと再婚しましたが、そのタイミングが初婚の相手が亡くなった翌年だったこともあり、闘病中にさんまさんと交際していたのではという疑惑が持ち上がりました。さらにさんまさんとの離婚後、演出家の野田秀樹氏と同棲生活に入るわけですが、そのときも、さんまさんとの婚姻期間中に交際が始まっていたのではと報じられました」(芸能ライター)

 1つのスキャンダルが即致命傷となりえる令和の芸能界と違い、おおらかだった昭和・平成初期の芸能界においても大竹しのぶは“別格”だった。

「ベテラン芸能評論家が、大竹さんのおっとりしたしゃべり方はすべて演技で、実際は頭も切れて洞察力もあるタイプだと彼女を発掘したマネージャーの言葉を紹介していました。ある有名監督は大竹さんについて『狙った男は逃さない、激しい性格の女性』と称していたようですが、好きになった男性にはわき目も振らずアプローチするんだとか。それが略奪愛だと言われようが自分の気持ちに正直に生きる、生粋の“女優”ということのようです」(同)

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