イチロー登場以前には、51番は近鉄若手時代の土井正博、東映時代の大杉勝男もつけ、ホームランバッターのイメージもあった。その系譜を受け継いだのが、99年ドラフト3位で西武入りした大島裕行だ。
埼玉栄高2年夏の甲子園で沖縄水産・新垣渚(元ソフトバンク‐ヤクルト)から逆転2ランを放つなど、高校通算86本塁打。プロ入り後も「バッティングでアピールし、51番を自分の背番号にしたい」と誓い、03年に7本塁打、開幕から5番を任された04年にも8本塁打と大器の片鱗をのぞかせた。
だが、05年以降は、栗山巧やGG佐藤らの台頭で出番が減少。08年9月2日のロッテ戦でプロ初の4番を打ち、渡辺俊介から本塁打を放ったものの、好調は長続きせず、アーティストとして開花しないまま、12年を最後に通算23本塁打で引退した。
大島とほぼ同時期に阪神で51番をつけた桜井広大も09年に12本塁打を記録したが、右肘故障に泣き、プロでは大成できず。桜井から51番を受け継いだ11年のドラフト1位・伊藤隼太も、実働7年で通算打率.240、10本塁打に終わり、“高橋由伸2世”、“ポスト金本知憲”の期待に応えることができなかった。(文・久保田龍雄)