休ませて少し充電させるべきか、それとも最初が肝心だからこそ頑張らせて行かせるべきか。とても悩むと思います。お子さんにとって、休みたいと親に伝えるのは勇気がいることに違いありません。学校に行きたくないとはっきりと言える子はともかく、体の不調を訴えてくる子は、言い出しにくい何かがあることが多いと感じています。
この時期の子どもたちは自分の気持ちを言語化する能力が未熟です。「なんか嫌」「うまく言えないけど学校は無理」「あからさまにいじめられたわけじゃないけど避けられている感じがする」など、頭の中にぐるぐるモヤモヤしているのもがあるにもかかわらず、うまく言葉にできないのです。
日本人は幼い頃から自分の気持ちを言語化することに慣れていません。日本人の自己肯定感の低さはたびたび報道されていますが、思春期の子どもたちの自己肯定感は、世界的にみても低いのです。問題は、諸外国ではそれは一時的なものなのに、日本の子どもたちの自己肯定感はその後もあまり上がっていかないということです。
自分の気持ちを自分自身が受け入れることができない、自分でも自分の気持ちがわからない、自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先してしまう、といったことが原因で、友だちとの距離感がわからなくなってしまったり、人と関わることが怖くなってしまったり、体の不調へとつながったりするケースも少なくありません。
実際私は、都内の中高一貫の男子校で不登校の支援をする中で中高生の悩みを日々聞いていますが、彼らは初対面のときには大変緊張感が強く、目も合わせられない、ということもあります。
コミュニケーションの語源はラテン語の「communis」と言われており、「共通の」「共有する」「分かち合う」という意味があるようです。つまり相手がいて、一方通行ではなく双方向にやりとりをするのがコミュニケーションなんですね。
思春期を過ごしている子どもたちは、コミュニケーションが消極的になったコロナ禍を過ごしたことで、十分に双方向のやりとりができずにきてしまい、双方向のやりとりをハードルが高いものと感じている可能性があるのではないか、と私は感じています。