病気は「恨みを持つ誰かのしわざに違いない」となると陰陽師が登場。火を焚き呪文を唱えた

 4月21日放送の大河ドラマ光る君へ」では、都で疫病が蔓延するさまが描かれた。28日放送の第17話では、関白で藤原道長の兄の道隆が病に倒れる。

【写真】【大河「光る君へ」本日第17話】紫式部は「病の治療は陰陽師」という常識に異議を唱えていた?

 医療が未発達だった平安時代、人々は「病」や「死」をどのように捉えていたのか。『まんがでSTUDY はじめての源氏物語』(監修 砂崎良)が詳しく解説している。引用しながら紹介したい。

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 平安の人々は「病気は恨みを持つ人の生霊や、亡くなった人の霊である、もののけのしわざだ」と考え、病気になるともののけを退治する儀式を行った。なかでも、身分が高い人が病気になった際のおはらいは、陰陽師が担当した。

 陰陽師とは、陰陽五行という考え方をベースにした占いを専門に行う職業。次第にもののけの退治や、厄よけの儀式も担当するようになった。当時も、今でいう医者という職業はあったが、医学のレベルが低かったことからあまり治すことができず、「病気はお祈りをして治す」というのが一般的な考え方だった。

 平安時代の人々の多くが、病気を「生霊や死霊によるたたり」と考えるなか、『源氏物語』の作者である紫式部は少し違った考え方をすることもあったようだ。紫式部がよんだ和歌に、「亡き人にかごとはかけてわづらふも おのが心の鬼にやはあらぬ」というものがある。「死んだ霊のたたりだ!と濡れ衣を着せて苦しんでいるが、本当は自分の良心の呵責(かしゃく)に苦しんでいるのではないか」という意味だ。

「もののけって実は、自分の思い込みや悩みが見せる幻では?」とそれとなく言っている。もちろんお祈りに頼ることはあったけれど、紫式部は現代の科学的な考え方にも近づいていたのだ。

 そもそも、現在よりも栄養がとりづらく、病気やケガの治療も十分にできなかった平安時代。40歳からが「老年」で、仕事を辞めたり引退したりする一つの目安となった。そのため、40歳の誕生日のお祝いは「四十の賀(しじゅうのが)」と呼ばれ、長寿や今後の健康を祈って盛大に行われた。その後も10年ごとに、五十の賀(いそじのが)、六十の賀(還暦)を開催した。

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