風向きが変わったのは、拠点をオーストラリアに移してからだった。昨年の世界水泳選手権後、白血病を患う前にもトレーニングを行っていたオーストラリアのゴールドコーストを拠点とするトップチームに参加。指導するマイケル・ボールコーチは、池江のライバルでもあるマキーオンを始め、背泳ぎ世界記録保持者のケーリー・マキオンらを指導する名将だ。そこで指導を受けるうちに、徐々に池江本来のアスリートとしての姿を取り戻していく。

 きっと、国内にいるとどうしても出てしまうであろう甘えもなくなったことも大きいはず。いつも病気と隣り合わせで、誰かの手を借りてきた池江が、サポートはあるにせよ、自分の手で生活し、トレーニングに励む日々は、選手としての感覚を研ぎ澄ませるのに良い時間になったのだろう。

 それは、オーストラリアから帰国し、国際大会代表選手選考会の会場に姿を現したときに十分に感じられた。充実した表情、リラックスした雰囲気。すべてを自分のコントロール下に置けているから持てる自信。そして、なかなかつけることができなかった背中と下半身も、1年前に比べるとひと回り大きくなって帰ってきた。それはこの言葉から見て取れる。

「復帰後ベスト、と言ってきましたけど、オーストラリアに行ってからは、目標は自己ベストの56秒0なんだ、という気持ちに変わった。復帰後ベストはもちろんうれしいですけど、本当の自己ベストを意識したい」

 結果的には高校生の新星、平井瑞希(ATSC.YW/日大藤沢高校)に敗れたものの、100mバタフライで五輪2大会ぶりの個人種目での出場権利獲得を果たすことができた。

 世界と勝負ができる舞台に立てる、という実感ができたからこそ、少しの焦りも出てきた。大会最終日に行われた女子50m自由形では、1位を獲得するも派遣標準記録を突破できず。「こんなに頑張ってきたのに、結果が出ないのが悔しい」と、100mバタフライの時とは一転して涙が止まらなかった。それも、『勝負の舞台に立っている』から言える言葉であり、感じられる悔しさだった。

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パリ五輪でのメダルの可能性は?