ジェイアール名古屋タカシマヤ「2024アムール・デュ・ショコラ」で有名シェフたちとひな壇に並んだ。(写真:今村拓馬)

始めたパン屋は先が見えず 準備した粉をぶちまけた

 特に目的も定めず進学した大学の英語の授業で「ノーマライゼーション」という言葉に出合う。フラットなことが当たり前で、人と人に垣根はないという考え方に目が開いた。そんな社会を実現するため「政治家になろう」という思いが芽生えた。大学を卒業して信用金庫に就職したのも地元での人脈づくりのためだった。だが、どうも感触が違う。社会の大きな課題に取り組むよりも、地域の祭りや消防団に参加したり、地元の道路にガードレールを作ったりすることが求められる。大事なことだが、夏目には大きなビジョンがあるようには見えなかった。政治家の道はそうそうに諦めた。飽きっぽい自分にほとほと嫌気がさした。

 信金も辞め、大学院に戻ってバリアフリーをテーマにし、障害のある人たちと関わるようになる。そんなときに出合ったのが『小倉昌男の福祉革命─障害者「月給1万円」からの脱出』という書籍だ。クロネコヤマトの生みの親である小倉は障害者が普通に働き稼ぐことができる場所を作ろうと「スワンベーカリー」を立ち上げていた。夏目は衝撃を受けた。

「自分のやっていたことはなんて薄っぺらかったんだろうと気づいたんです。車椅子ユーザーと『駅のどこで迷うか』などを調べて論文を書いていたけれど、そもそも月給1万円では駅に遊びに来ることもできないじゃないかと」

妻・安矢子と子どもたちと。休みの日は家族で旅行に行くことも多い(写真:今村拓馬)

 スイッチが入ると、もう止まらない。小倉に「自分もやりたい」と手紙を書き、地元の福祉助産施設を見学して「工賃はいくらですか」「なぜ月給1万円なのですか」と質問し、露骨に嫌がられた。「自分たちもこれではいけないと思っている」という人も少数いた。だが大半は「仕方ない」「福祉にお金を持ち込まないでくれ」という対応だった。現場の人を責めたいわけではない。仕方がない、ですませる社会の空気に納得できなかった。

 ついに小倉と東京で対面が叶(かな)った。「スワンベーカリーをやらせてください」と頭を下げたが、もらったのはただ一言「帰りなさい」。面談は数秒で終わった。いま思えば「甘いものじゃない」という戒めだったのだろう。が、帰りの新幹線で「これからどうしよう」と頭を抱えた。道はなくなったのか? いや、そうじゃない。ならば自分でやってやる! 負けん気に火がついた。

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