つまり、ボクは同級生にエグい「都会マウント」をしていたってわけ(笑)。「ボクはお前らみたいな田舎者じゃないんだぞ」ってね。ほんとひどいよね。ボクの中では、スポーツ界ではよくありがちな「スーパースターがマイナーなリーグに移籍してきた」ような感覚だった。

 ちなみに、ボクが引っ越しをした田舎の地域はものすごい山奥だったから、本屋やゲームショップ、ゲームセンターなどもほとんどなかったの。たしか「週刊少年ジャンプ」の発売日も通常よりも数日遅れていたような気がする。当時、最新のゲームやはやりのマンガなどをほとんそろえていたボクにとっては、そんな状況も、都会マウントを悪化させる要因になった。今、思うと、あの頃って、まだインターネットも全然普及してなかったし、都会と田舎の差って、今よりももっとあったように思うんだよね。きっと当時のボクはそれをまるで自分のスペックのように勘違いしちゃったんだと思う(笑)。

 短大の時もそれと似たような感じで、変なマウントをとっていた。ボクは2浪して、やっと短大に入ったんだけど、同級生に対して「ボクはお前らよりも2つも年上なんだぞ」「年下のお前らに会話の内容を合わしてしゃべってやってるんだぞ」などと本気で思っていた(笑)。今度はまさかの「年齢マウント」。普通、浪人しているって時点でちょっとマイナスな要素なはずなのに、ボクはなぜかそれすらもプラスにとらえていたんだよね。

 周りは年下ばかりだし、とにかくナメられちゃいけない気持ちも大きかった。だから、入学してしばらくは誰ともしゃべらず、ずっと気を張って生活していたね。勉強でも絶対負けたくなかったから、教室の一番前の席にドカンと座ったりして、けっこう真面目に授業も受けていた。

 あと、ナメられちゃいけないっていうのと同時に自分を「強く見せたい」って思いもあったから、机の上に、わざと格闘技の雑誌を並べたりもしていた。「週刊プロレス」や「格闘技通信」、中国拳法の「螳螂(とうろう)拳」などをね。プロレスラーの故・三沢光晴さんのトークショーにいった時にプレゼントされた全日本プロレスのジャージーを毎日着て登校したりもしていた。

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