現代の新聞記者百生(ももせ)と、加賀一向一揆が滅亡した鳥越城にこもった信徒権兵衛がタイムスリップで互いの時代を行き来するという趣向のなかで展開していく。
これを読んでいると、地元の人たちは今に通じるさまざまな事象が、実は加賀藩だけでなく、一向一揆のころの習慣から連綿とつながっていることに気がつくのである。たとえば講という寄り合いによる合議はそのひとつ。
連載は、竹森を含めた3人の共同執筆だったが、そのうちの一人、坂内(ばんない)良明は、「百姓の国は立ち上がれる」というコラムを2月2日に書いている。輪島市内で道路が寸断されて物資の補給が途絶えた孤立集落を歩いた坂内は、意外に思う。〈もっと殺気立ち、絶望感が漂うさまを思い描いていたからだ〉。
「米はあるからね。野菜はその辺からとってくる」というばあちゃんの言葉を聞き、被災した家屋の修復の大工工事に励むじいちゃんを見ながら坂内ははっとする。
〈これは百姓だ〉
連載で、坂内や竹森は、百姓とはけっして農民を指すものではなく、さまざまな生業を持つ人々が一向宗で団結したのだ、と書いているが、こうした人々は「自主、自立」を基本としていた。
そうしたたくましさを震災後の孤立集落に坂内は見たのだった。
奥能登のうち、穴水町、能登町で戸別配達は3月1日から復活、珠洲市や輪島市もこの雑誌が発売になる4月1日には復活するが、まだ相当数の読者は避難からそもそも自宅に戻ってきていない。
2月1日に続いて3月1日も編集局長の坂野は、「能登半島地震」のオールカラーのまとめをまるまる12ページを使って紙面構成した。
北陸中日は2ページ、読売は1ページだった。中央のテレビ局や全国紙は、すでに取材陣を引き揚げ始め、能登半島地震の扱いは小さくなっている。
4月1日の朝刊でも、坂野は「能登半島地震」の振り返り特集を12ページで組む。
自分たちだけは報道し続ける、というメッセージでもあり、決意でもあった。
※AERA 2024年4月8日号