石川県の人口は113万人(2020年国勢調査)、47都道府県で33番目、大分県とほぼ同じ人口の小さな県だ。
が、この県では、新聞がまだ頑張っている。
なにしろ、北國新聞だけではなく、北陸中日新聞、読売新聞の三紙が夕刊も出し、この三紙の普及率(全世帯の中で新聞をとっている割合)は7割近くになる。北國新聞の部数は震災前で31万部強、人口がほぼ同じ大分県の県紙大分合同新聞が16万部弱の部数だから、いかに北國新聞が「持続可能なメディア」を考える意味で重要なメディアかがわかるだろう。
今回被災がもっとも激しかった奥能登の二市二町(珠洲市、輪島市、能登町、穴水町)で、北國新聞は1万7千人の読者を持っていた。この読者の家に新聞を配っていた北國新聞の販売店は45店ある。集落がわかれているために、50や100といった小規模の部数を配る店もある。
元日に起こった地震で販売局長の清水隆行は、販売店の安否確認とともに、どう被災地に新聞を届けるか頭を悩ましていた。自宅と兼用の販売店が多いが、津波や倒壊、火事で3分の2の販売店が被災していた。また、被災していない販売店も、新聞を配ろうにも、そもそも人々が避難をしていて自宅に人がいない。なにしろ、1月の時点では、奥能登は下水道や電気、ガスといったものが全てやられていた。2日の特別夕刊から、販売局員が二人一組になって届けられる避難所に新聞を配ることが始まる。
こうしたなか、5日までに携帯が通じず連絡がとれない店長が二人おり、そのうちの一人畑中孝造(輪島市町野販売所)の自宅兼店は、一階部分がぺちゃんこに潰れている、という報告が現地に入った記者から届いたという話は、前回書いた。
倒壊した町野販売所の写真を見ながら、販売局全体が重い雰囲気につつまれた。
その一時間後のことである。町野販売所を担当する販売局員の携帯がなった。
「畑中です。避難所にいて電波が通じず連絡ができませんでした。電波の届くところまででてきました」
販売局全体が大きな歓声にわいた。