(C)NHK
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 ライバル&同士の茨田(菊地凛子)はスズ子に、「私は生涯、歌い続けるわよ。年をとっても、1日でも長く歌い続ける」と言っていた。スズ子は若い水城と対峙し、若き日の自分より「衰えた」と結論づけ、歌う仕事は下りると判断した。茨田とて、「若い日の自分」と「今の自分」を比較しないはずはない。「衰え」を感じているか、感じていないか。それはわからない。が、とにかく「今の自分」を生涯、1日でも長く見せていく。それが茨田の美学なのだ。

 趣里さんは若いし、声も衰えていない。だから、スズ子の引退がピンとこない面がある。そこで史実に基づき、計算してみた。日本コロンビアのHPを見ると、笠置は1956年、42歳になる年に引退している。1956年の女性の平均寿命は67.5歳だ。最新(2022年)の女性の平均寿命は87.09歳。計算すると、当時の42歳は現在の54歳にあたる。「晩年」の在り方を54歳で自らに問う。なんてリアルなんだろう。自分はスズ子のような潔さも、茨田のような覚悟もないなと思う。「シニア、働け」一本槍の今どきってどうなんだろう。そんなことも思う。

 そこから最終回に向けて、「ブギウギ」が力を込めて描いたのは羽鳥とスズ子の師弟愛だった。スズ子の引退は羽鳥を動揺させ、関係をギクシャクさせる。が、もちろん修復する。だから師弟愛=スズ子の「幸せに暮らしましたとさ」。感動の方向性はよくわかるし、それに応えるべく羽鳥演ずる草彅さんはすごい演技を連発していた。

 関係を修復していく2人だけのシーン。羽鳥は「僕はいつしか君に嫉妬していたんです」と素直に語り、「まだ君と歌を楽しみたかった」「君と一緒にもっともっと歌を作りたかった」と本音を口にした。涙を浮かべ、でも涙はこぼさずに語る草彅さん、うまい。そして草彅さん、セリフなしも見せた。トリを取るスズ子が映るテレビを見つめる。「東京ブギウギ」を寂しそうに弾く。表情が、セリフ以上に雄弁だ。

 一方のスズ子は、作曲家と歌手を「人形遣いと人形」にたとえた。「ワテはいつまでも、先生にとっての最高の人形でおりたかったんです」のセリフに、「自分を誰かの人形にたとえるのは昨今、どうかしら?」と少し思ったりもした。が、意訳するなら、自分は羽鳥の歌=極上品を完成させるパーツだということだろう。パーツが劣化すれば、極上品でなくなってしまう。だから引退。職業観でもある。が師弟愛要素多めに描かれたのは、そこからのスズ子の幸福を感じさせるためだと思う。

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