それぞれの新作朗読
朗読を終えた小澤さんが聴衆に「僕たちは村上春樹という文学的井戸で繋がっています」と語りかけ、弾き終わったギターをスタンドに立てかけながら村治さんは「小澤さんの声の響きを探し出し、小説と一緒に新しい世界へ行けるように演奏しました」と振り返った。
村上春樹と川上未映子。世界的作家の二人が書き下ろした短編は「夏帆」と「わたしたちのドア」というタイトルだった。残念ながらそれらの内容に触れることはできないが、聴衆はじっと耳を澄ませ、二人が編んだ物語に没頭しているようだった。
この会を親密にしようと和やかにステージをまとめていった川上さんはギフト・リーディングも用意していた。それは村上春樹永遠の青春小説『ノルウェイの森』。直子が出したワタナベへの手紙を会場全体を包み込むような慈愛を込めて読んだ。
作家の言葉の生々しさ
3時間にわたるステージの全てが終わり、村上春樹さん、川上未映子さん、村治佳織さん、小澤征悦さんが舞台前方に並び、フォトセッションとなった。
「さあ、皆さん、写真をどうぞ!」との川上さんのかけ声に、1階、2階、3階、満席の大隈講堂からスマートフォンが掲げられた。4人の笑顔に向け、あちこちで灯るライトは聴衆からの「ありがとう」の声にも見えた。
別れを告げた出演者と入れ違うように日本文学研究者のロバート キャンベルさんがステージ上手のピンスポットの中に立った。キャンベルさんは早稲田大学国際文学館顧問で特命教授でもある。
「誰の手も経ていない作家自身の言葉の生々しさ、戸惑いみたいなものを皆さんと一緒に共有できたことはとても貴重で珍しいことです」。これは村上さん、川上さんが披露した新作について触れるものだった。「(ウクライナやパレスチナで起きている)戦争で言葉が届かない人々も増えている中で、作家自身の息の湿り気が乾かぬうちにこうした作品に触れることができたのは幸せでした」
聴衆が帰り支度をするのを確かめ、ステージのDJブースから再びジャズを流した。
「感情が渦巻き、今は適切な感想が見つからない」「朗読は異次元の読書体験だった」「村上さんに会える。人生で達成すべき一つでした」「ワクワクする気持ちを分け合いたいけど、それはひっそりと自分の胸の内だけに隠しておきたいような……」
終演直後からネット空間ではそんな声が舞った。
(TOKYO FM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー、作家・延江浩)
※AERA 2024年3月18日号