「月夜の陰謀」と題された大河ドラマ光る君へ」の第10回。安倍晴明の力を借りた藤原兼家が、4人の息子(道隆、道綱、道兼、道長)とともに花山天皇をだまして退位・出家させ、娘の詮子が産んだ孫の懐仁親王を一条天皇として即位させるいきさつが描かれ、放送後はSNSで大いに話題となった。

 このクーデターで、藤原道兼は一条天皇の摂政となって政治の実権を握り、まひろ(紫式部)の父・藤原為時は再び官職を失うことになる。3月17日の第11回では、まひろは左大臣家の娘に父が復職できるよう口添えを頼み、それがかなわないとわかると、摂政となった兼家への直訴を試みると予告されている。

 ここから全盛期を迎える藤原摂関政治だが、藤原摂関家の栄華の痕跡も、紫式部が物語の舞台に選んだ場所も、京都のあちこちに残っている。『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)を引用する形で、その足跡をたどりたい。

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藤原道長の邸宅跡
(土御門第跡/京都市上京区)

photo かみゆ歴史編集部

 現在の京都御苑の中にある藤原道長の邸宅跡。娘・威子が後一条天皇の中宮になった日、土御門第で宴席がもうけられた。その時に道長が詠んだ「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思へば」という和歌はよく知られる。

藤原道長が建立した寺院
(法成寺跡/京都市上京区)

photo PIXTA

 浄土教に傾倒した藤原道長が、晩年に建立した寺院。道長の邸宅・土御門第に隣接し、「京極御堂」とも呼ばれた。1058年に焼失し、道長の子・頼通が再建するも再び焼失。その後、再建されることはなく、現在は石碑を残すのみとなっている。

藤原道長が参詣した山岳修行の聖地
(鞍馬寺/京都市左京区)

photo PIXTA

 平安京の北方にある鞍馬山の寺院。鞍馬山は古くから山岳修行の聖地とされており藤原道長も参詣した。『源氏物語』の中で光源氏が妻・紫の上と出会った場所も鞍馬寺だといわれている。また、鞍馬山には天狗(てんぐ)の伝説があり、鞍馬駅前には大きな天狗の像がある。

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紫式部の墓所も残る