AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。35人目は、徳田拳士四段です。AERA 2024年月日号に掲載したインタビューのテーマは「印象に残る対局」。
* * *
山口県で生まれ育った徳田拳士少年は、強くなる環境に恵まれた。
「ほかの学校の子でも行ける小学校のクラブ活動みたいなところにいって、そこの先生に個人的に教えてもらい、いろんな方を紹介してもらって」
近くには松本誠さんと北村公一さんという、全国的に有名なアマ強豪がいた。
「最初、松本さんに家に来ていただき、忙しいということで、北村さんに教えていただくようになりました」
徳田は小1のとき、小学生名人戦の県予選に出場した。
「自分より強い人が沢山いたんですけど、県代表になれて」
小学生名人戦は、都道府県代表が東日本、西日本大会に進み、そこから2名ずつが全国大会に進む。新2年だった徳田は、全国まであと1勝と迫りながら、6年の子に敗れた。新3年時にはまた同じところで6年の千田翔太(大阪、現八段)に敗れている。
「それが両方とも、すごく悔しかったです」
同じ06年。徳田は全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で、本田奎(神奈川、現六段)、増田康宏(東京、現七段)などを破って優勝を果たした。歴代の優勝者を挙げれば佐々木勇気(現八段)、佐々木大地(現七段)、藤井聡太(現八冠)など、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。徳田がいかに早熟だったかがわかる。
「父には車で、中四国近辺の大会はほとんど連れていってもらいました」
山口県内の子で強いのは徳田だけではなかった。
「井田くん(明宏四段)は小学生の頃(親の)転勤で山口にも何年か住んでたんです。彼は同郷で、奨励会に入ってからは同期で同門(小林健二九段門下)でした。彼は京都に引っ越して、出身は京都で届けてるんですけど『山口にしとけばよかった』ってすごく後悔してました(笑)」