古市憲寿(ふるいち・のりとし)/1985年、東京都生まれ。埼玉・越谷北高卒。大学卒業後に東京大大学院総合文化研究科へ。慶應義塾大SFC研究所上席所員。『絶望の国の幸福な若者たち』など著書多数(撮影/写真部・高野楓菜)
古市憲寿(ふるいち・のりとし)/1985年、東京都生まれ。埼玉・越谷北高卒。大学卒業後に東京大大学院総合文化研究科へ。慶應義塾大SFC研究所上席所員。『絶望の国の幸福な若者たち』など著書多数(撮影/写真部・高野楓菜)
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 受験シーズンが佳境に入った。過去に話題となった記事を再配信する。(この記事は、2021年5月13日に配信した内容の再配信です。肩書、情報等は当時)

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 1980年代後半から早稲田大や慶應義塾大などに従来とは違う学部が相次いで誕生した。各界で活躍する卒業生に学部を選んだ理由や人生に与えた影響を語ってもらった。AERA 2021年5月17日号の記事から。

■古市憲寿さん(36)社会学者
慶應義塾大 環境情報学部

 慶應義塾大の環境情報学部を選んだのは、入学の段階で専門を絞らなくていいというのが大きな理由でした。

 学部のあるSFC(湘南藤沢キャンパス)のいいところは、トライ・アンド・エラーを繰り返せるところ。1年のころはアートや建築に興味があったけど、2年のときにCG(コンピューターグラフィックス)アニメーションの履修を申し込んだら希望者が多くて外れてしまったんです。コマを埋めるつもりで同じ時間にやっていた社会学者の小英二さん(58)の授業を取ったら、すごく面白くて社会学に興味が出てきた。卒業論文は北欧の社会保障をテーマに書きました。勉強の入り口と出口が違ってもいいという柔軟さが僕には合っていました。

 一方で、自由な分だけ常に問われるんです。「何でSFCに入ったの」「何を研究しているの」って、学生同士で。だから、何をしたいのか考えざるを得ない。いまでこそ当たり前になっているけど、アポイントメントなしに教授が会ってくれる「オフィスアワー」も当時すでにあって、いろんな先生によく話を聞きに行きました。学生をやる気にさせる種のようなものがたくさんまかれているキャンパスでした。

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