主治医が電子カルテに記入した、治療終了を意味する「終診」という言葉を目にして、「もうどうにもならないんだと落ち込んだ」人もいた。熊谷さんは言う。
「医師はけっこう『終わり』と言ってしまうことが多いですが、患者さんはこの言葉にとても敏感です。とはいえ、患者さんを送り出す側、受け入れる側、それぞれの医師や看護師がどれほどていねいに対応したとしても、『自分が望んでいないほうへ行かなければならない』のは、患者さんにはつらいこと。すんなり受け入れてすぐに新たな関係を作れる人のほうが少ないのではないでしょうか」
また「お金」の問題も深刻だ。根治をめざせるがん治療では、治療内容も期間もお金もからだの回復状況もある程度見通しがつき、仕事の予定も立てやすい。しかし転移をすると、治療がいつまで続き、どのくらいお金がかかるのか、進行して働けなくなったらどうやって生活するのか……患者や家族の不安は尽きない。
「訪問看護にいこうとすると、『先々もっと悪くなったときのためにお金をとっておきたいから、まだいい』と断られることもよくあります」(熊谷さん)
転移の治療の選択肢は? 積極的治療以外も
がんが転移をすると、治療方針は大きく変わる。昭和大学藤が丘病院・腫瘍内科教授の市川度医師はこう話す。
「転移はがん細胞がもともとできた病巣から血流に乗って別の場所に移動し、CTなど画像で確認できるくらいまで育った状態です。からだのあちこちに検査では見つからない小さながんが潜んでいる可能性が高く、手術や放射線のような局所療法で完全にがんを治すのは難しくなります」
【治療その1】がんに対する積極的治療
<薬物療法>
転移の治療は全身に効果がある薬物療法が基本になる。しかし薬でがんをゼロにするのは難しいのが実情だ。そのため根治はできなくても、がんの進行を抑え、つらい症状をやわらげて、今まで通りの生活をより長く続けることを目指していく。
薬の進歩は目覚ましく、「従来の抗がん剤(殺細胞性抗がん剤)」や「ホルモン剤」に加えて、「分子標的薬」「免疫チェックポイント阻害薬」といった新しいタイプも登場し、薬の組み合わせのバリエーションも増えた。
「一昔前とは違って、薬物療法を受けながら何年もごく普通に生活できている患者さんがたくさんいます」(市川医師)
ただし、副作用は必ずある。薬の種類や量を調節したり、副作用を軽減する薬を使うなど対策(支持療法)は進歩しているが、それでも副作用を抑えられず、生活の質が低下するなどし、逆に命を縮めてしまうこともある。治療効果と副作用のバランスをとりながら治療を進めていく。
近年は、個々の体質や病状に適した治療をおこなう「がんゲノム医療」が注目されている。患者のがん組織や血液を解析して、がんに関わる数百個以上の遺伝子を一度に調べる「がん遺伝子パネル検査」をおこない、効果が期待できる治療薬を探す。遠隔転移があって標準治療が終了している人などを対象に、2019年からがん遺伝子パネル検査に保険が適用され、受けやすくなった。ただし治療薬にたどりつける患者は、約1割とされている。