その時の斎藤さんの言葉を一部引用するとこうだ。「自分たちは被災者を励ます存在で、つまりいるだけで価値がある。そういう存在だから、自分を見せる、見てもらうことに意味がある。そのことに気づかれたのではないでしょうか」(アエラ19年10月28日号)
存在意義の「現場」にいる
一般参賀のSS席で私は、斎藤さんのこの言葉を思い出した。雅子さまをはじめ紀子さま、愛子さま、佳子さまのうれしそうな様子に思い出したのだ。見せる、見てもらうことに意味がある、その「現場」にいると思った。雨の中、傘もささずに東庭に立つ国民。その理由を私はしかと言葉にできないが、少なくとも熱気のようなものはそれぞれのもとに届いたのではないだろうか。
秋篠宮家の長女の小室眞子さんは、「皇室を出たい」と切望していたと思う。「男系男子」の皇室にあって女性皇族が理不尽な立場に置かれていることを、私は何度も書いてきた。皇室を働く組織とみなせば、女性皇族にとってそこは「やりがい搾取」の職場だと思うからだ。だが、当たり前だが皇室は職場ではない。外務省という職場を辞して皇室に入った雅子さま。バッシングの最前線に立たされている紀子さま。皇室に生まれた愛子さまと佳子さま。全員の笑顔が心からのもので、それは「存在意義の現場」にいるから。そう思えた。
陛下の話が遅くなってしまった。23日朝、列に並びながら、陛下の誕生日にあたっての記者会見の内容を読んだ。参賀を終え自宅に戻り、もう一度じっくりと読んだ。参賀を経て改めて読み直し、発見した言葉があった。「直に」だ。陛下は4カ所で、この言葉を使っていた。1カ所は愛子さまの大学生活のことだったので、ご自身と雅子さまのことを述べた3カ所を引用する。
天皇陛下の「直に」のお言葉
<今回訪れた、陸前高田市、大船渡市や釜石市では、被災地の皆さんから直にお話を聞くことができ、幾多の困難を抱えながら弛みない努力を続けてこられた姿に心を打たれました>
<今年の歌会始の歌でも詠みましたが、各地を訪れた際に皆さんと直に接することができたことは、大変嬉しいことでした>
<新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、都内においても様々な行事が再開され、そして、地方への訪問も行うことができるようになり、皆さんと直に会って人と人との絆を深めることができるようになったことを、雅子と共に、とても嬉しく思っています>