出版前からあまりに後ろ向きな発言で、買うのやめようと思わせたらすいません。でも、こんなこと考えちゃうくらい私は、自分が変化し続ける生き物だってことを認識して受け入れることができた。この本を書くことで、やっとのみ込むことができたのだ。だからこそ、最後のゲラを封筒にしまえたんだと思う。静止させるわけではなく、今を焼き付けるという意味で、あくまでこれは今ここで、他のいつでもないということ。それはどうしようもないってこと。
もしも私の本が百年後、どこかの古本屋さんに並んでいて、百個年下の三十歳が読んでくれたとしたら。その人はどう思うかな。引くかな。キレるかな。わからないけど本の中の私は今ここ。いや少し違う。二〇二四年一月四日、地点の私。次に書く小説はその時の私。同じ名前を使っていてもiPhoneみたいに中身は違う。それって変な汗かくけれど、変わっていくのは私だけじゃない。みんな一律お揃いで、だけど自由に変わっていく。百個年下の三十歳が百個年下の百歳になる時には、逆に好いてくれるかもしれない。世界は変化で出来ていて、いつか全て忘れてしまう。だから、ここに本があるのだ。運動する人間をピン留めして、自分の震えに気づけるように。二〇二四年一月四日の私を読むたび、きっと私の身体は震える。生きているんだと感じる。それは読者も同じだろう。そんなに愛さなくってもいいから、今日といつか。読んでくれたあなたが、震えながら生きていることを感じる手がかりになれば嬉しい。