学士入学制度で島根医科大学(当時、現在は島根大学医学部)に合格。卒後は「知識と技術力を極限まで高めて心臓を治す姿がかっこいい」と感じて心臓外科を選んだ。
心臓手術はささいなトラブルが死に直結する。心臓バイパス手術のような大きな手術は、若手にはなかなか回ってこない。
「まずは、『あいつにやらせてみよう』と先輩医師に認められる医師にならないといけない。そのため大事なのは、やはりパッションだと思いました」
手術で助手のときは、執刀医になったつもりであらゆる手術のパターンをイメージ。成功した手術でも、「もっといいやり方はなかったか」とあえて課題を探し、技術の向上を模索した。熱い思いは、周囲に伝わった。
「私の基本姿勢である、『1例で10例分の経験を積む』は、ここから来ています」
最高のオペを提供するために、できることはまだある
さらなる高みをめざして心臓病の専門病院、榊原記念病院へ。そこでMICSの先駆者、田端実医師(現・順天堂大学心臓血管外科主任教授)と出会う。
「当時、MICSは国内で始まったばかり。田端先生は果敢に新しい技術の習得に取り組んでいました。その姿勢に刺激を受けましたね。ロボット手術に取り組みたい、と思ったのも、田端先生の影響が大きいです」
自ら志願し、研修を受けるためにアメリカへ。帰国後、現在の病院にロボット手術を導入する流れを作った。
「手術台から離れた場所で操作をおこなうので、スタッフ間の信頼・尊敬、調和がとれていることがとても大事。この点を意識して取り組んできた結果、最高のチームができました」
ただし、現状にはまだ、満足していない。
「安全かつ最高の手術を提供するために、できることはまだあるはず。今後は海外も視野に、技術を磨き、可能性を広げていきたいですね」
(取材・文/狩生聖子)
※週刊朝日ムック『手術数でわかるいい病院2024』より