明治から昭和にかけて東京大学(文京区)を中心に多くの文人たちが暮し、数々の名作の舞台ともなってきた本郷、谷中、根津、千駄木界隈。
石川啄木、江戸川乱歩、川端康成、夏目漱石、樋口一葉、正岡子規、宮沢賢治、森鴎外――そんな「文人たちが暮らしていた街を歩いてみよう」と、熊谷正さんが写真を撮り始めたのは10年ほど前だった。
「カメラを持って、ブラブラしていると、ノスタルジックな思い出がよみがえってくるんですよ」
作品に写る酒屋には今では目にすることがほとんどない「塩」の看板がぶら下がっている。
「昔、塩を専売公社が扱っていたときの名残です。ぼくの田舎にもありそうな素朴な風景がここにはある」
新宿や渋谷とは全然違う
実家が写真館を営んでいた熊谷さんは1951(昭和26)年、長野県千曲市で生まれた。18歳のときに上京し、高田馬場で暮らし始めた。
「そのころは早稲田大学の学生運動が激しくて、高田馬場の駅前で警察の機動隊が都バスを盾にして催涙弾をバンバン撃っていた」
大学はロックアウトされ、授業は行われていなかった。
「予備校に通っていたんですが、大学にいってもしょうがないなと思って、東京綜合写真専門学校(横浜市・日吉)に入学した」
写真学校へ通う際、渋谷駅で電車を乗り換えた。
「友人と飲みに行ったりして、渋谷駅の周辺はよく歩きました。だけど今はもう本当に当時の面影はないね。道玄坂を上がった恋文横丁のあたりが多少残っているくらい。同じ東京でも、どんどん変わっていく新宿や渋谷を撮ることと、本郷や谷根千(谷中・根津・千駄木)を撮る行為とはまったく違うんですよ」
本郷・谷根千界隈は戦時中、空襲の被害を免れた数少ない地域でもある。
「周囲は高層ビルだらけですけれど、このあたりは昔の面影が残っている。昭和が残っているというか。住宅が新しくなっても街の全体の雰囲気は変わらない」
雰囲気のある「大学前」
これまで熊谷さんはファッションや人物を中心に撮影するかたわら、30年以上、インドネシアに通い、伝統芸能や人々の暮らしを撮り続けてきた。
「ぼくが撮影してきたインドネシアは、王宮があったりする古い町並みがあるところなんです。なので、本郷・谷根千界隈には興味があった」