初来日を果たした1981年には、音楽雑誌『ミュージックライフ」誌でラルフ・ヒュッター、坂本龍一、高橋幸宏の鼎談で行われ、興味深い対話が繰り広げられている。その一部を紹介しよう。
坂本「(クラフトワークの音楽は)全体的にぼくたちのやりたいものと同じなんですが、たとえば一番影響を受けたアートとかを知りたいんですが。ライブの最後の方なんか、コンストラクティヴィズム(構成主義)っぽいものを感じましたよ。それに古いSFとか音楽以外の影響をいろいろ発見できる」
ラルフ「『The Man Machine』(※1978年に発売されたクラフトワークのアルバム)にはコンストラクティヴィズムのコンタクトがたくさんあります。当時、”ミュージカル・バウハウス”などと人から呼ばれたことがありました。というのも、その頃、科学と芸術のコンビネーションを創ったからです」
高橋「ぼくたちのような音楽は、よく機械的で冷たいって批判されてきたけど、最近は逆に人気が集まってきてるんだよね」
ラルフ「どうしてもギターのようなものに慣らされてきましたからね。新しい音楽は、どんどん古い音楽を追い出してきています」「わたしは電子が生みだすリズムに肉体的要素を盛り込んでいきたいんです
1981年はYMOが傑作『BGM』』『テクノデリック』をリリースした年。テクノ音楽の芸術性がさらに高まっていた時期と言っていいだろう。
日本の脱原発をテーマにしたイベントにも登場
その後もクラフトワークは、テクノロジーの発展とともに進化を続けた。80年代は巨大なシンセサイザーやコンピューターをステージに置いていたが、00年代以降はメンバー4人が横並びになり、ノートパソコンを操作するスタイルに変化。映像の表現も重要視され、2012年からは3D映像を駆使したステージを行っている(観客は3Dメガネを着用)。
YMOとクラフトワークの共演が初めて実現したのは、2012年。坂本龍一の呼びかけで行われた「脱原発」をテーマにしたイベント『NO NUKES 2012』(千葉・幕張メッセで開催)にクラフトワークが出演したのだ。このイベントでクラフトワークは自らの楽曲「Radioactivity」を坂本の監修による日本語詞で演奏。“日本でも放射能”“きょうもいつまでも”“フクシマ”“放射能”“空気 水 すべて”“いますぐやめろ”と歌われるこのバージョンは大きなインパクトを残した。