朝鮮近代文学研究者である著者が、李光洙と香山光郎という二つの名前を持つ作家の波瀾万丈な一生を追う。新時代を生きる男女の恋愛を描いた韓国初の長編小説『無情』を書き、近代文学の祖となった李光洙は、日本に「菊池寛の如し」と紹介され、小林秀雄、久米正雄、佐藤春夫、坂口安吾など著名な文学者たちとも交流する。しかし、後には日帝時代の下で日本に協力した「親日」作家というレッテルを貼られることとなり、未だに記念館さえできていない。
1905年に東京に降り立った李光洙は、西洋建築がずらりと並ぶ様子に驚く。藁葺きの家ばかりの朝鮮との「文明」の落差に気付くのだ。明治学院と早稲田大学への留学経験から彼の心の中では徐々に、民族啓蒙への決意が膨らんでいく。彼が「親日」と言われる根拠となった論説では、日本と朝鮮を一体化する「内鮮一体」が唱えられているが、それは朝鮮に日本と同等の教育機会を与え、日本人に朝鮮人を同胞として愛してほしいという願いであった。厳しい時代の中を生きる知識人としての苦悩と情熱が読み取れる。
※週刊朝日 2015年9月11日号