市議会議員選挙戦、精神科診療所などの撮影に臨んできたドキュメンタリー監督が、「観察映画」という独自の方法論を語った講義録だ。
 想田は作品制作にあたって被写体に関するリサーチや打ち合わせを行わず、ナレーションや説明テロップなども入れないと語る。被写体へのリサーチが「常識」のドキュメンタリー界ではある意味異色だが、これらはいずれも予定調和を求めず撮影を行い、監督や観客が各シーンをよりよく「観察」するための工夫なのだ。さらに、ときには観察者自らが被写体となることもある。例えば選挙戦の撮影時には現職の市議から監督自身が抗議を受けた。しかし想田は「自分も観察される側の人間になるべき」と、そのシーンをあえて完成作に組み込む。〈観察〉は本来相手に失礼な行為。だからこそ「ドキュメンタリー作りには『安全な観覧席』はない」とピシャリ。対象と一定の距離を保つ「観察映画」のイメージは、完全に粉砕される。映画というジャンルを越え、「見る」という行為がつくる関係性を否が応でも再考させる一冊。

週刊朝日 2015年9月11日号

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