磯谷祐維は色紙に「日々努力」「正々堂々」「角逐」といった言葉を揮毫する。飼っているハムスター「ぷーたろう」のイラストを添えることもある(撮影/写真映像部・高野楓菜)
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 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。34人目は、磯谷祐維女流初段です。AERA 2024年2月12日号に掲載したインタビューのテーマは「影響を受けた人」。

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 磯谷祐維は、岐阜県南部の各務原市で育った。

「3歳上の姉はめっちゃ優秀なんですけど、私は勉強は苦手で(笑)。将棋は小3ぐらいで覚えて。最初はおじいちゃんと指して、負けたときに悔しいなって思って。そこから教室に通ったり、努力して指すようになりました」

 磯谷は地元の指導者・柴山芳之さんが主宰する教室で腕を磨いた。教室のブログには、全国小学生名人戦で優勝した小6の宮嶋健太(現四段)が、小3でアマ7級の高田明浩(現四段)、磯谷と指している写真も残されている。

「高田さんは家もけっこう近くて。子どものときは一緒ぐらいの強さだったはずなんですけど(笑)。岩佐美帆子さん(現女流1級)、山口稀良莉さん(現女流1級)、山口仁子梨さん(現女流2級)も同じ教室出身です」

 しっかりした少女だった磯谷は一人で電車に乗り、名古屋にまで通った。その頃東海研修会にいたのが、同学年の藤井聡太だった。藤井は小4で奨励会に入る直前には、上位のB1まで進んでいた。

「私が研修会にF2で入ったときは、藤井さんはずっと上のクラスで。同じ空間にはいたんですが、そこで当たったことはありません。子ども大会では1回当たって、ボコボコにされました(苦笑)」

 磯谷は研修会でステップアップを重ね、女性アマ大会では好成績を残した。磯谷の夢は女流棋士ではなく、棋士になることだった。奨励会を受験する際には山崎隆之(現八段)に入門した。

「滋賀県の初心者塾みたいなところに通っていたとき、初めて山崎先生にお会いして。『師匠になってもらうならこの人だな』って思ったんでしょうね(笑)。先生はほかに弟子はいなくて。たぶん、私が最初で最後の弟子なんだと思います」

 磯谷は中3で難関の試験を突破し、奨励会に入会。しかしそこから挫折を経験した。

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