漫画家と脚本家で違うのは「視点」
原作者にとって、自身の作品が“改変”されるのはどのような気持ちなのか。きたがわさんは、「人によってはショックだと思う」としつつ、こう答えた。
「僕は、2次創作はどういじられてもいいって思っちゃうタイプなんです。『ホットマン』の主人公はヒゲでメガネのジャン・レノ風の男の子なんですけど、ドラマでは反町(隆史)くんが演じているわけで、その時点でもう僕の作品ではありません。でもそれはそれで面白いんじゃない?って。『B.B.フィッシュ』がレンタルビデオ用に実写化されたときは、もはやエロい感じにされていたんですけど、手に取ってもらうためには仕方ないのかなと思いました」
芦原さんも、『セクシー田中さん』のドラマ脚本について、「よくある王道の展開に変えられてしまう」「原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される」ことがあったと明かしていた。
この“改変”の背景として、きたがわさんは一つ思い当たることがある。
以前、原作小説を漫画化する仕事を引き受けた際、「このキャラクターはこういう気持ちのはずなのに、なぜこんな行動を?」という矛盾にたびたびぶつかった。そこで痛感したのが、漫画家と文筆家の“視点の違い”だという。
「僕たち漫画家は常にキャラクターの表情を描くので、心の動きを追いかけながら物語にしていきます。泣き笑いの表情を描くときはこっちも同じ顔になりながら、その気持ちになりきって描く。だからキャラクターの気持ちと行動に齟齬があると、描く表情もうそっぽくなります。一方、文章で物語を構成する脚本家の方は、事件のあらましやギミックを大切にして、キャラクターは事件がうまく進むように操作していく印象がある。この違いが、自分の漫画が脚本になったときの違和感の一因なのかもしれません」