柴田恭兵さん演じるチンピラが古手川祐子さん演じる主人公に夢中になり、強引に性交する。その後、柴田恭兵さんは「ルンルン」(←時代)だが、古手川祐子さんは「こんなことで一生を棒に振りたくない」と「なかったことにしよう」と前を向く。でも柴田恭兵さんの熱い思いにほだされて結局は……という流れである。もちろんそこは山田太一、一人一人の葛藤が深い群像劇として描かれるのではあるけれど……それでも、そもそも「性的同意」などという考えそのものがゼロの時代であったことがストレートに伝わってくるドラマだった。つまりは今を生きている大人の大半が、そういう時代を生きてきた人たちであるということだ。少なくとも今の40 代以上にとって、「性的同意」なんて、全く新しい概念である。
松本人志さんを巡る週刊誌報道でも、複数の女性たちが、松本さんと二人きりになったときに性的な要求を拒否すると大声を出したり、不機嫌になるなどと話している。松本さんの代理人によれば「およそ『性加害』に該当するような事実はない」とのことなので、裁判の過程で「同意」を巡る事実についても語られていくだろう。おそらくそこには、女性たちから見える「同意」と、男性たちから見える「同意」に大きなズレがあったことが明かになっていくだろう。それでもそこには、女性たちから見える「同意」と男性たちから見える「同意」に、もしかしたら大きなズレがあるのではないだろうか。
冒頭の女友だち数人とは「性的同意」で盛りあがった。「したくないときはヨギボーを夫との間において寝る」という女友だちもいた。それも関係性が取れていればこその「性的同意」の一つの合図だろう。また「断り方を気をつければいい」とアドバイスする女友だちもいた。「ストレートに断ったら、男は切れるよ〜。『私もすごくしたいんだけどぉ、おなかが痛くなってぇ、ごめんねぇ、すごくしたいんだけどぉ……ムニャムニャ……』と寝たふりすればいいよ」と。えーっ! と思わず声をあげてしまう。もうそうやって男を甘やかすのやめようよー! の思いである。男が怒ると怖いから、男を否定すると面倒だからと、女たちは男の繊細なお気持ちを傷つけないように努力する。女たちは、「相手を傷つけないように断る」訓練をしすぎなのだ。でも、そうやって男たちを甘やかすことで、いったい私たちは何を得られるというのだろう。