作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は松本人志さんの件で改めて考えた、「性的同意」という概念について。
* * *
「夫が誘ってきたとき、疲れているからと断ると、3日くらい口をきかない日が続いたのが一番きつかった」
離婚した友人が、離婚にいたった一番の理由(無数にある中の)を話してくれた。それがコレだった。その場にいた女たちが「わかる!」と大きく肯いた。セックスを断ると男の機嫌が悪くなる問題である。
彼女がセックスを断ったのは、1歳と3歳の子を抱えていた時期だった。自分の時間が1秒もない戦場のような生活。食事、洗濯、掃除を全て一人でこなし、泣く子をあやし、ぐずる子にご飯を食べさせ、本を読んで寝かしつけ……に加えてフルタイムの仕事だ。時間があれば1秒でも眠りたい……という過酷な生活のなか、家事も子育ても「お手伝いするよ」くらいの感覚しか持たない夫から要求されるセックスは、さすがに「無理!」だった。「こんな夫だったら、いないほうがまし」という判断をするまでには数年はかかったが、離婚してもなお、「セックスを断ったら無視された」ことに対するモヤモヤはずっと引きずっているのだという。
そんな彼女の話から、私たちは松本人志さんの話になる。最近、女友だちと集まると何かしらのきっかけで必ず松本人志さんの話になってしまう。気がついたら私も本連載3週をこの話に費やすことになるが、今回の松本人志さんに関する報道には、あまりにも「要素」が多すぎて1度には消化しきれないのだ。なかでも今回の報道を巡る反応を見ている限り、「性的同意」について社会的同意が追いついていないことを、突きつけられている。セックスを断ると夫が切れる……も突き詰めれば「性的同意」の問題である。
今はさすがにこんなことを言う人はいないが、少なくとも私が幼かったとき(1970年代〜80年代)、日本のドラマや映画などから知る「大人の男女関係」とは、「女なんてやってしまえばこっちのもの」というものだったと思う。そのことを、先年亡くなった山田太一さんのドラマ「想い出づくり。」(81年)のBSでの再放送で思い出した。