「道長は当時は大納言だったが、内覧の宣旨で左大臣にまでなった。けれど、延喜・天暦の昔を想起されたのだろうか、関白にはならなかった。……兄弟は多くいたが、この道長大臣の流れを摂政・関白というのであった。以前にあっても、どのようなわけか、昭宣公(基経)の三男の貞信公(忠平)が継承し、またその貞信公の二男の右大臣師輔の流れが後継となり、さらにその師輔の三男であった東三条の大臣(兼家)が家を継ぐこととなった。兼家の後継となった道長もまた庶子だった。このように彼らはみな父が立てた嫡子ではなく、自然と家を継承することとなった。祖神(天児屋命)のはからいによる筋道だったのだ」

 そして親房は右に語った道長登場に到る流れをのべつつ、その一条天皇の時代は、「サルベキ上達部、諸道ノ家々・顕密ノ僧マデモ、スグレタル人オホカリキ」(そういうことだから、上達部〈公卿〉や諸道の家々、さらには顕密の僧侶たちに至るまで、秀れた人々が輩出した)との指摘をしている。

 毒瓜説話での「術道ヲ得タル人々」を彷彿とさせる場面とも符合することになろうか。まさしく一条朝は道長そして紫式部の時代に対応した王朝の盛期だった。

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関幸彦

関幸彦

●関幸彦(せき・ゆきひこ) 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。

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