寿町の扇荘新館で暮らすYの生い立ちを聞き、ノンフィクション作家の山田清機氏は「同情したり憐れんだりする以前に圧倒された」という。山田氏が横浜の一等地にあるドヤ街に6年通い、住人たちの話を聞いて書き上げた『寿町のひとびと』が文庫化された。文庫化にあたり、新たに現在の寿町を取材した際に出会ったのが、Yだった。実の父親の顔も名前を知らず、母親に新しい恋人ができるたびに住居を転々としていた小学生のYだったが、3年生の終わり頃、母親の再婚で安定した生活を手に入れる。しかしその生活も、小学生6年生の時に失われようとしていた……。文庫版に追加収録した「寿町ニューウェイブ」からの冒頭を特別公開。その後編をお届けする。

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※【前編】「同情や憐れみよりも『Yのような小学生が存在したという事実』に圧倒された ノンフィクション作家・山田精機が描くドヤ街『寿町』の今」からつづく

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 平穏な日々に亀裂が入るようになったのは、6年生の終わりの頃だった。母親が妹を出産したのだ。妹が生まれると、祖父母も含めた周囲の大人たちの関心が一挙に自分から離れて、妹だけに集中するのがわかった。

「突然、家の中に僕の居場所がなくなってしまいました」

 家族に新しいメンバーが加わることで、家族間の力学が変わってしまうことはよくあることだ。下に妹や弟ができて寂しい思いを経験したことのある人も、大勢いるだろう。しかし、Yの場合は父親と血の繫がりがない。妹は血の繫がりがある。児童虐待のニュースに登場する家族にこのパターンが多いのは、血縁の重さの裏返しなのだろうか。

 優しかった父親は豹変して、母親との間に諍いが絶えなくなった。

「父はだんだん暴力的になって、夜な夜な母と喧嘩をしていました。喧嘩が始まる度に母から『部屋に戻りなさい』と言われましたが、物を投げる音が毎晩のように響いてきました。一度、喧嘩の最中に父親が自分の部屋に入ってきたことがあって、暴力をふるわれると思いましたが、そのときは母が必死になって止めてくれました」

 ある晩の喧嘩の後、母親とふたりで選んだ父の日のプレゼントの箸が、まっぷたつに折れて床に落ちていた。

「それが一番のショックでした」

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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「あるとき、飼っていたハムスターを殺してしまったんです。」