寛和元年(九八五)五月下旬の闇夜、花山天皇の遊び心から、闇夜の肝試しをすることになった道隆・道兼・道長の三兄弟(「三道」)は、それぞれの指定の場所へ向かう。当時は、物怪や鬼神は日常のものであり、兄2人が恐れをなすなか、道長は堂々と柱まで削って戻って来た。関幸彦氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)では、『大鏡』〈道長伝〉の中で描かれた藤原道長の豪胆さを表すエピソードを紹介している。一部を抜粋、再編集し、紹介する。
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『大鏡』〈道長伝〉が伝える道長の逸話で有名なものをもう一つ。この話は花山天皇も登場する。三道の一人道兼に謀られ、花山寺(元慶寺)で出家させられた(寛和の変)。あるいは伊周・隆家の誤射事件(長徳の変)でも顔をのぞかせた人物だ。その花山院、そして道長をふくむ三道たちの若き頃の話だ。
寛和元年(九八五)五月下旬の闇夜のことだ。花山院は道長たち三兄弟に胆試しを吹きかけたという。現代と異なり闇が闇としてあった当時は、物怪・鬼神は王朝人たちの日常とともにあった。
長兄の道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿、そして道長は大極殿と行き先が決められた。もともとが花山院の遊興心からの発案だった。兄の二人はその申し出に腰が引けていたようで、乗り気ではなかった。けれども末弟の道長だけは「いづくなりともまかりなむ」(どこへでも参りましょう)と、動揺する様子もなく、天皇の挑発をしっかりと受け止める。三人は天皇からの発案でもあり、指定の場所へと、ともかく向かうことになる。