だが、翌07年は投手陣の故障が相次ぎ、開幕から4連敗すると、浮上できないまま最下位。球団社長は「もう1年どうか」と慰留したが、21年ぶり最下位という結果に対し、「人に責任を負わすわけにはいかない」と考えた古田は、シーズン中の9月19日に退団を発表した。
失敗の要因について、恩師の野村氏は、「野村の遺言」(小学館)などの著書の中で、精神、肉体両面で負担の大きいプレーイングマネージャーを選んだこと、ヘッドコーチに仲の良い伊東昭光を指名したこと、古田が性格的に目立ちたがり屋の投手タイプだったことなど挙げ、「オレをヘッドにすれば良かったのに」と結んでいる。
退任直後も「もう一度ユニホームを着て、グラウンドで勝負してみたいと思っています」(SMR2008年VOL.9)と再任に前向きだった古田氏だが、実現しないまま今日に至っている。
今季で3年目を迎える中日・立浪和義監督も、“3度目の正直”で結果を出したいところだが……。(文・久保田龍雄)
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。