そのうえ、民主化を求める市民への弾圧も強まり、死者は4200人、逮捕者は2万5千人を上回っている。また、これまで163人ものジャーナリストが拘束され、中国に続き世界で2番目に報道関係者が不当な理由で身柄を押さえられている。
なぜ久保田さんはミャンマーへ飛び立ったのか。当時の心情をこう語る。
「僕の友人たちも逮捕されて、なかには行方がわからなくなった人も多い。クーデターが起きて1年半が経ち、現地の友人のことが気がかりでした。彼らの姿を映すことで、ミャンマーの現状を伝えることができるのではないか。それが自分にしか撮れないものではないか。そう考え、22年7月にミャンマーへ飛び立ちました」
ミャンマーで活動を開始して約2週間が過ぎたころ、身柄を拘束された。
外に出ないときも
「逮捕された当時は警察署にある10平米ほどの留置所に収容され、そこには20人以上がいました。8月4日に刑務所に移動し、外国人用の独房に入れられました。しかし気分の浮き沈みが激しく、独房の鍵が開けられる時間帯でも外に出ないときもありました」
就寝中にゴキブリが手を這うなど、独房の衛生環境は必ずしも良いとは言えなかったという。
久保田さんは独房に隠し持ち込んだペンで感情や出来事を紙切れに日記にして綴った。
その一部を紹介しよう。
<あと何日、こんな夜を過ごすだろうか。>
<最近、気分の上下が激しい。誰とも話したくない時間がほとんどだ。>
<この国で生きなくてはならない人々の悲しみに比べたらわずかなものだと思った。>