富山の路面電車を楽しむ(撮影/門間新弥)

「テムカ、ジョージアでは挨拶で勝利を誓い合うって、教えてくれたよな。何て言うんだっけ?」

「ガウマルジョス」と答えた。選手とコーチ、顧問の教師、全員が肩に腕を回して円陣を組んだ。

「手代木にガウマル……」とテムカが叫ぶ。

「ジョス、ガウマル……ジョス、ガウマル……ジョス!」と皆が応じる。士気は最高潮に達した。

 惜しくも関東大会には出場できなかったが、松代の住民は手代木中の選手を温かく迎えた。テムカの父アレキサンダーは、自著『手中のハンドボール ガウマル……ジョオオオス!』(牧歌舎)に〈そこ(松代)では誰もが私たちの顔なじみで、私たちの周りにはいつも日本人ならではの密やかな優しさと無言の声援があった〉と記している。

 テムカはコミュニティーに溶け込んで成長した。

 大学時代からの友人、吉川(きっかわ)龍一(35)は、テムカの案内でつくばの夏祭りを楽しんだときの一場面を鮮やかに覚えている。吉川が語る。

「広場や公園に夜店が出て、ふつうの夏祭りでしたが、ショッピングモールの横に階段があって、地元のヤンキーが大勢たむろしていました。テムカは、そこにずかずか入っていって、おまえたちー何してんだよーって延々と話しかけるんです。知らない人でも声をかけて仲良くなる。ああいうノリでやってきたのか、と驚きました」

 テムカが誰とでも接したのは、単に外交的な性格だったからでもない。

「小さいころから、どこに行っても僕はよそ者、変わり者でした。そこで内気になるより、自分の特徴を武器にアピールしていろんな人とつながったほうがいい。それに相手を知ることで自分にない視点や経験、感情に触れられます。だからクラスで誰とも喋(しゃべ)らない人や、異端児といわれた人ともつき合ったんです」と当人は述べる。

 茨城県立牛久栄進高校に進学し、身長は180センチを優に超え、体重も増えた。コーカソイドらしい、彫りの深い風貌になるにつれ、テムカの胸にもやもやがたまる。友だちも多いし、何不自由なく暮らしているようだったが、自分が何者か、何をしたいのかわからなくなったのだ。疎外感が募った。どこかで背伸びしすぎていたのかもしれない。「アイデンティティーの危機」に直面した。

福井の老舗味噌蔵「米五」で永平寺御用達の秘伝に触れる(撮影/門間新弥)

追いつめられ何とか就職 先が見えジョージアに帰国

 高校2年の夏休み、自らの根っこを確かめようと、ジョージアの首都で、生まれ故郷のトビリシに帰った。すると……あまりにも居心地がよかった。人びとのメンタリティーも顔かたちも似ていてバリアーがない。心のなかの欠けていた部分をとり戻したようだった。

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