たとえば、民族衣装の「チョハ」を身につけると、「これは自分の服だ。長い歴史のなかで継承されてきたものだ」と実感できた。チョハは上半身にピタリと張りつき、裾が長い。のちに今上天皇の即位礼正殿の儀に着用して参列し、映画「スター・ウォーズ」のジェダイの騎士や「風の谷のナウシカ」の衣装に似ていると話題に上る。
テムカは「ここに残りたい」と親を説得し、トビリシのアメリカンスクールに入った。そのまま欧米の大学に進む選択肢もあったが、1年で牛久の高校に復学する。日本への愛着も断ち難かった。
沖縄出身の辻太一(34)がカナダ留学中にテムカと出会ったのは、09年の夏だった。早稲田大学国際教養学部に籍を置くテムカも、1年間の予定でバンクーバーの大学に留学していた。学校は違ったが、故郷が背負う歴史が似ていてウマが合う。
沖縄は戦後27年間、米国に占領統治された。ジョージアも、長くソビエト連邦に組み込まれ、グルジアと呼ばれた。ソ連崩壊後の1991年に独立し、政治や経済が不安定な時代が続いた。ふたりは「平和」や「文学」の話をした。辻は語る。
「彼はよく胸のポケットに芥川龍之介や太宰治の文庫本を入れていました。ジョージア語はもちろん、英語もペラペラですし、言語能力は高い。そんな彼が、日本語には他の言語にはない美しさがあるって言っていました。外国語ならストレートに言うところも日本語は婉曲(えんきょく)に表現する。そこがとってもいいんだよって強調していました」
テムカにとって文学は心の糧だった。
『高野ヤマト バレンタイン号』という冊子のPDFが私の手もとにある。表紙は背中にタトゥーが入った女性の後ろ姿だ。大学時代にテムカがプロデュースした電子書籍版の同人誌である。執筆者は4人。父と息子がカジノで財産を失(な)くす小説をテムカも載せている。制作担当の吉川は語る。
「表紙をデザインしたのはメキシコ人の学生で、執筆者やカバー写真の撮影者もテムカが集めました。誌名は仲のいい『高野君』と『ヤマト君』という友だちの名前をくっつけたんです(笑)。おちゃらけてますが、テムカの実行力は抜群です。常に何か面白いことをやりたがっていましたね」
こうして思う存分個性を発揮したテムカだが、ついに社会のシステムという厚い壁にぶつかる。就職活動だ。これがまったく肌に合わなかった。2、3社トライしたものの、面接で落とされる。先が決まらず、「やばいな、やばいな」と追いつめられたところで、キッコーマンが海外市場の要員を募集しているのを見つけ、入社試験に受かった。テムカは社会人・レジャバの顔を持った。