総勢26人が執筆して作った『きっと誰かに教えたくなる蚊学入門』を手にする一盛和世さん

 玉川大のキャンパスは広くて、あそこで穏やかな人たちと接して。最近、「ウェルビーイング」という言葉をよく聞くようになりましたよね。私もWHOに行ってから、これを目指すようになったんですけど、もしかしたら、あのとき玉川大で出合った、あの穏やかさっていうのが、ウェルビーイングなのかもしれないなあとちょっと思う。農学部なので、田植えとか、牛や豚の世話もするし、命を育てる仕事は純粋に楽しかったですね。

 そこでミツバチに興味を持ち、3年生で昆虫学研究室に入りました。社会性昆虫というのはすごく面白いなと思ったんです。昆虫ですら社会を持っている。私は社会をミツバチから学んだ。でも、卒論のテーマは蚊にした。

――どうして、急に蚊に?

 蚊は身近過ぎて、昆虫としてあまり捉えられていないなと。そのへんがひねくれているというか、まともなチョウチョやトンボに行かずに蚊に行った(笑)。

 というか、研究室の先生が東大医科研の先生と知り合いで、医科研の先生から「蚊をテーマに卒論を書こうという学生はいませんか」と声がかかったんですよ。私の自宅からは東大のほうが近いということも考慮してもらえたのか、私を推薦してくれたんです。

 医科研では来る日も来る日もボウフラを数えて、無事に卒業論文を仕上げました。それで玉川大を卒業し、そのまま就職もせずに医科研の研究生になっちゃった。当時は就職っていう発想が全然なかったですね。

親は大反対

 佐々先生は熱帯病の研究を国際的なスケールで進めておられて、私は熱帯病の研修を受けたりして、勉強させてもらっていた。ある日、ゼミにサモアに行っていた研究者が来て、サモアの話をしたんですよ。それが運命の分かれ目というか、私はぜひともサモアに行きたいと思ったんです。

 佐々先生に言っても「困ったなあ」という感じだったんですけど、青年海外協力隊というのがあると教えてくれました。で、あ、それで行こう、と思ったんです。そこから、親が……。

――親がどうだったんですか?

 大反対。大反対どころか、ほぼ勘当ですよ。私だって親だったらそう言っちゃう(笑)。サモアってどこ?っていう感じですよね。そこで蚊を捕りに行く? はあ? ですよ。結果としては許してくれたんですけど、よく許してくれた。

 ともかくサモアに丸2年行って、WHOのフィラリアプロジェクトに青年海外協力隊のボランティアとして参加した。行ってみたら、熱帯というところは素晴らしく、あちこち採集に行って調べた蚊の生態もすごく面白かった。それに、サモアでは患者さんにも会うわけじゃないですか。その姿を見て、日本でこの病気をなくせたんだからここでもなくせるはずだと思った。そして、そういう仕事をしてみたい、と思うようになった。

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帰ってきてすぐ、離婚した