盟友のパトリシア・グレイブス豪ジェームズクック大学教授と。一盛さんが持っているのが読売国際協力賞受賞を記念して作った本=2023年8月、オーストラリア・シドニー、一盛和世さん提供

 虫に。フィラリアに。だから、あなたたちがいたことはどこかに残します。そう約束を、虫とは約束できないから自分で約束した。ちょっと青臭いですけど、私は本気でそう思っていました。で、その約束をいただいた副賞を使って果たした。

――それがこの立派な英語の本ですね。日本語タイトルは『太平洋リンパ系フィラリア症制圧計画(PacELF=パックエルフ)論文集および一盛和世業績集―第29回読売国際協力賞受賞を記念して―』です。

 はい、300冊作って、世界中の関係者にほぼ配り終えました。2023年8月下旬から9月初めにはオーストラリアに行きました。あそこのジェームズクック大学には、ロンドン大学衛生熱帯医学校に留学したときからの友人パトリシア(・グレイブス)が教授としているんです。私もそこの客員フェローですが、この大学とクイーンズランド大学が主催して、アジア太平洋地区のフィラリア関係の人たちが何百人も来る、WHOも関わる結構大きな会議をシドニーで開いたんです。

 その中で私の本の出版を記念するセレモニーを開いてくれた。初日の開会挨拶のときから「スペシャルゲスト、ドクターイチモリ」っていう感じで紹介してくれて。それでブースに本を置いて配ったらみんな喜んでくれて、本当にありがたかった。

宮古島にある「フィラリア防圧記念碑」

 日本ではこの病気のことも、制圧が進んでいることもほとんど知られていないんですけど、今回、読売新聞が光を当ててくれて良かったなと思っています。本のほかに、フィラリア症制圧を伝える金色の記念プレートも作って、12月に太平洋の島国バヌアツに行ってプレゼントしてきました。私自身、バヌアツに6年間いましたし、私が始めたPacELFのプログラムで最初に制圧に成功した国の一つがバヌアツなんです。もうこの国にはフィラリア症はなくなっているので、若い人は知らないわけですよ。だから、若い人たちに知ってもらうためのプレートです。

 実は沖縄県の宮古島には大きな「フィラリア防圧記念碑」がある。1988年に沖縄県での「根絶宣言」が出されたのを記念して建てられたもので、本当はああいう立派な石碑を贈りたいと思ったんですが、いろいろ調べてみると石碑を太平洋の島に建てるのは難しいとわかり、プレートにしました。

――沖縄の石碑が1988年に建てられたとなると、日本でもこの病気が1980年代までは存在していたわけですね。

 実際には沖縄県では1980年に対策が終わり、その後、再発生がないか慎重に見極めてから根絶宣言を出した。宮古島で対策が始まったのは1965年で、そのころには四国や九州にも患者がいて、対策が進められていました。

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