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ただ、心残りだったのが母の胸中だ。せっかく希望の高校へ進んだのに、自由な校風をいいことにたばこを吸ったり授業をさぼったりで、校長に呼ばれて「もう高校をやめて下さい」と言われたこともあった。母は、きっと悲しんでいたのだろう、と思う。大学受験で、10連敗した。勉強と縁の薄い高校生活から、覚悟はしていた。でも、1年は浪人したが、母が夢に描いていた九州大学に合格した。
2019年4月に社長になって1カ月後、母が亡くなった。「社長になったよ」と報告しても、もう意識がはっきりしていなかったので分からなかっただろう、と思った。でも、母が息を引き取った病院は医師になった娘の勤務先で、娘は「ばあちゃん一瞬、分かったみたいよ」と言う。そうならば、高校時代に悲しませたことが、少しは埋め合わせできたかもしれない。
体育館のほうへ歩くと、たばこを吸っているのを先生にみつかった場所へきた。1週間、登校を禁じられた。「来んでいいよって、いまでいうリモートワークですよ」と笑い飛ばす。それも青春だ、という顔だった。
高校を再訪する前に、生まれ育った福岡県筑紫野町(現・筑紫野市)二日市へ寄った。博多駅から特急電車で約15分。『万葉集』にある大伴旅人の歌に出てくる温泉がある。少年時代、両親と一緒に訪れ、友とも10円玉を握っていった。
暗い表情の母から笑顔を引き出し人を笑わせる道へ
実家は農家で一人っ子。両親はいつも土にまみれていたイメージで、父は土方仕事へも出ていた。母は、暗い表情のときが多く、息子の将来に夢をはせて「あんたは勉強して頑張りよ」と言った。そんななかで、冒頭の授業参観でみたこともない母の笑顔を引き出し、人を笑わせる道へ入る。以来、常に語呂合わせや造語を考えている。
いま、実家を建て直して、住んでいる。博多に借りたマンションとの2拠点だ。人は地域で生まれて社会へ出ても、最終的には地域へ戻るのだ、と思っている。戻る場所があり、安心感がある。
就職先に西部ガスを選んだのは、何か大きな志があったわけではない。父母を2人だけで置いておくと喧嘩をしかねないと心配で、地元の会社へ入った。もう一つ、客の顔が直にみえて地域へ貢献できる仕事がいい、とも考えた。ガス器具は、家々を回って話をしながら売っていく。そんな姿を描いていたら、配属先は情報システム室。大学時代にプログラミングをやったこともないが、「親と上司は選べない。親と職場も選べない」と造語して、観念する。