2023年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期に読まれた記事を振り返る。エンタメ編の9位は「『ジュリー』沢田研二75歳はなぜ今も最高のロックンロールスターなのか ”声の持久力”に評論家は着目【千秋楽レポ】」(11月27日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま)
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沢田研二の今年のツアーが11月23日、ファイナルを迎えた。そのライブレポートをお届けする。なぜ、いま沢田研二なのか。それは毎年のように新曲を出し、ライブを続け、ジュリーは今を生きる現役のスターだからだ。ライブ会場には60代以上のみならず、YouTubeなどの動画がきっかけのZ世代のファンもいる。75歳を超えてなお走り続ける「日本最高で最年長のロックスター」は、今回も圧巻のステージで会場を沸かせた。
2時間のステージが終わり、会場に満ちていたのは幸福感だった。11月23日、東京国際フォーラム。「沢田研二 LIVE 2022-2023『まだまだ一生懸命 PARTⅡ』」が、終幕した。
6月25日のバースデーライブをザ・タイガースのメンバー再結集で果たし、9月から神戸、名古屋、大阪と続いた「PARTⅡ」のファイナル公演だった。
結論から言いたい。
ジュリーの「一生懸命」は、まだまだ、ずっと続く。デビュー当時の歌を原曲キーで披露し、ステージを右に左に走り回りながら全20曲を歌いぬく75歳なんて、世界でも稀だろう。
冒頭の「そのキスが欲しい」(1993年)から5千人の観客は、ほぼ総立ち。元気なジュリーと再会できた喜びで一気に会場の温度が上がる。「おまえにチェックイン」(82年)、「サムライ」(78年)、「ダーリング」(同)と往年のヒット曲をたたみかけ、「勝手にしやがれ」(77年)でピアノのイントロが流れると、筆者の前の席にいた60歳代とおぼしき男性は小さくガッツポーズ。サビの「〽ア~ア~」で皆が一斉に手をひらひらと“壁塗り”して高まる一体感。「時の過ぎゆくままに」(75年)、「危険なふたり」(73年)、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」(82年)――。新曲を重視し、過去のヒット曲を封印していた時期もあったと知る身には、「こんなにサービスしてくれるなんて……」とジュリーの思いに触れた気分で胸がいっぱいになった。そして、「TOKIO」(80年)だ。華やかなオリジナルバージョンに、もはや涙腺が危うい。