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 スズ子(趣里)の弟・六郎(黒崎煌代)は、赤紙が来てからずっとはしゃいでいた。

 まずは「すごいやろ、なあ、すごいやろ」と病床の母・ツヤ(水川あさみ)に見せにいった。出征用に髪を丸めると短い箒を機関銃に見立て、「はな湯」の常連客相手に戦っていた。ドドドドドド、ドドドドドド。そう言いながら撃ったかと思うと倒れる。そして「花田六郎は敵の弾に当たりましたが、死んでも機関銃を放しませんでした」と言う。

 機関銃でなく「ラッパ」だったな、戦前の教科書に「立派な兵隊さん」として載ってたんだっけ。そんなことを思いながら、カメの帽子をかぶって戦争ごっこに興じる六郎を見る。そこに父・梅吉(柳葉敏郎)が来る。ツヤの死が近いことが、はっきりしたばかりだった。そうとも知らない六郎は、「あ、敵や、ドドドドドド」と近づいて来た。「六郎、静かにせい」と梅吉。が、六郎は「ドドドドド」をやめない。次の瞬間、梅吉がものすごい声で怒鳴った。「うるさいわい!」。六郎は後ろに倒れ込み、そのまま固まっていた。

 その夜、「すまなんだな」と謝る梅吉に、六郎は「大きい声、好かんねん」と言っていた。大きい声が嫌いな人に、兵隊が務まるはずもない。見ていた全員が思ったはずだ。同時に死の予感でいっぱいになり、すでに心が苦しかった。

 勘助(尾上寛之)を思い出した。朝ドラ「カーネーション」のヒロイン糸子(尾野真千子)の幼なじみで、2度目の出征で戦死する。最初の出征から4年で帰って来た時、腑抜けのようになっていた。また赤紙が来た時は、「やっとしまいや」と言う。

 マイ・ナンバーワン朝ドラ「カーネーション」。勘助はそこで、戦争における「加害」を表す役割を持たされていた。勘助の母が戦後20年経ち、勘助は「された」のでない、「した」のだ。そう悟る。加害とは、加えた方も害するもの。それが勘助だった。

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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「怖いの好かんねん」