(C)NHK

 六郎と勘助は、戦争に対応できない男子同士だ。だけど、その果たす役割は、かなり違うと思う。中学を出て大きな工場に就職したが、性に合わないからと和菓子屋に転職する勘助は、競争を嫌う、優しい男子だった。六郎はもっと直感的というか、本能的に生きているように思える。カメが好き、学校は苦手、はな湯は好き、大きな声は苦手。

 きっと学校などで言われていたからだろう、六郎はツヤにこう言っていた。「甲種合格しても、どんくさいおまえには赤紙来いへんと言うヤツおったけど、ちゃんと来たわ」。ツヤはこう返していた。「あんたはどんくさいことなんかないで。みんな、ほんまは、あんたみたいな素直で正直な人間になりたいと思うてんねんで」。飾らない六郎を見ていて、心が洗われたような気持ちになったことは私もあった。だが、それだけではない。

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 招集日の直前、六郎が東京のスズ子を訪ねて来た。下宿のご飯が「ものごっついおいしい」とお代わりし、2階に上がると「きれいな部屋やなー」とクロールみたいに手足をバタバタさせていた。六郎の明るさが、スズ子を明るくしている。が、布団を並べて寝たところで、六郎は本当の気持ちを語りだす。「死への恐怖」を語るのだ。

 死ぬ直前はすごく痛いだろう、目の前が真っ暗になり、それからどうなるのか、と言う六郎に、スズ子は「あんたは死なん」と言う。「だけど人間、みんな死ぬ」と返し、「怖いの好かんねん」と言った。六郎にも、隠さなくてはならない本音がある。そのことが胸に迫る。六郎のような人間を、死なせてはいけないと思う。

 六郎は、炭鉱のカナリアなのだ。そんなふうに思った。戦争の冷酷さを本能的に察知するという意味もある。が、むしろ、今を生きる私たちのカナリアではないかと思った。

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人は誰かを傷つけている